社団法人 延岡青年会議所 創立50周年記念事業 「延岡蓬莱かるた」

 

あくがれの人 若山牧水

あくがれのひと わかやまぼくすい

若山牧水は、旅を愛し旅にあって各所で歌を詠み、数多くの名歌を残した国民的歌人です。明治18年(1885年)8月東郷町に生まれ、その後延岡中学(現 延岡高校)に進み短歌と俳句を始め、18歳のとき、号を「牧水」としました。明治37年(1904年)に早稲田大学文学科に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、中林蘇水と親交を厚くし「早稲田の三水」と呼ばれました。大正9年(1920年)以降、静岡県沼津市に家族で住みましたが、常に牧水の心には故郷があり、『なつかしき城山の鐘鳴りいでぬ をさなかりし日聞きしごとくに』『ふるさとに帰り来たりてまず聞くは かの城山の時告ぐる鐘』など多くの故郷を詠んだ歌があります。

 

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岩熊井堰 美田を拓く

いわぐまいぜき びでんをひらく

江戸時代中ごろの享保年間、時の藩主牧野貞通が家老藤江監物の賢策を聞きいれ、当時「ひばりの巣」と言われていた荒地の多い出北の農民に、水を届けるために大工事を行ないました。しかし工事は難行し反対派から非難を受け、監物父子は反対派の工作により投獄され牢の中で亡くなったのです。ですが、工事責任者の江尻喜多右衛門が監物の遺志を継いで工事を続け、11年の歳月をかけて岩熊井堰を創りあげたのです。堰の長さは約260mにも及び、出北までの用水路の長さは約12kmもある、江戸時代のものとしては屈指の規模で、多くの農民がこの岩熊井堰の恩恵を受けました。

 

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海に咲くバラ 大すり鉢サンゴ

うみにさくばら おおすりばちさんご

須美江から島浦に向かう途中の沖に、日本でも最大規模の「オオスリバチサンゴ群」があります。直径3mもあるオオスリバチサンゴが300個程群生している光景は、まさに海中に広がる巨大なバラ畑のようです。サンゴのみならず、クマノミ・キンギョハナダイ・スズメダイをはじめとして多種多数の熱帯魚が生息しており、ダイビングをするのにも絶好のスポットです。近年、環境の変化によってサンゴ群の規模が縮小しており、このすばらしい自然をいつまでも大切に守っていかなければなりません。

 

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縁起を担ぐ 十日えびす

えんぎをかつぐ とおかえびす

今山八幡宮の末社であり、福岡えびす神社・若松えびす神社と並ぶ九州三大恵比寿神社の1つである今山恵比寿神社で、毎年2月10日、11日に「十日えびす」が行なわれます。この「十日えびす」には商売繁盛祈願、航海安全祈願に多くの参拝客が訪れます。また「福笹」も販売されます。この福笹を十日えびす毎に新しい物にすると福を招くと言われ、古い福笹を焼き払う「焼納祭」も行なわれています。

 

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大敷網のブリ大尽

おおじきあみの ぶりだいじん

「大敷網」は延岡市赤水の網元に生まれた日高亀市が考案した、画期的な漁法です。明治初期の赤水沖合いには1月から3月にかけて、毎日のようにブリの大群が押し寄せていました。しかし当時の漁民は従来の1本釣り漁法に頼るより方法がなく、なんとかまとめて獲りたいというのが、亀市の父の夢でした。亀市はその父の意思を継ぎ、亀市の長男英三郎とともに研究に取り組み、明治25年2月、ついに「大敷網」が完成したのです。この年の漁期が終わるまで大漁は続き、18万2千匹ものブリを水揚げすることができました。この成功により亀市は莫大な利益を手に入れ、「ブリ大尽」として全国に名を知られるようになったのです。

 

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快水浴場 九州一の下阿蘇ビーチ

かいすいようくじょう きゅうしゅういちのしもあそびーち

全国の海水浴場・河川等の水浴場の中から、水質・安全性等の要件を満たす100ヶ所を環境省が選定した「快水浴場100選」に、下阿蘇ビーチと須美江海水浴場が選ばれました。中でも下阿蘇ビーチは特に評価の高い「海の部特選」に九州で唯一選ばれています。美しい白砂の海岸線は約1km続き、青松や浜木綿がみられます。波も穏やかで休憩施設やケビン、オートキャンプ場も隣接して整備され、気軽に海水浴を楽しむことが出来ます。

 

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北川清流 ホタルの乱舞

きたがわせいりゅう ほたるのらんぶ

北川はゲンジボタルが多く生息していることから、ホタルの名所として知られています。毎年5月下旬から6月中旬の夜になると、無数のホタルが飛び交う幻想的な光景を目にすることができます。北川町は美しい自然環境の象徴であるホタルを町おこしのシンボルとし、森があり、川が流れ、ホタルが舞い、人々が安心して暮らしていけるふるさと、自然と人、人と人とが豊かにふれあえるふるさとを大切にする北川町つくりが進められています。

 

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国姫様のお化粧の水

くにひめさまの おけしょうのみず

延岡藩藩主有馬直純の正室である国姫は、徳川家康のひ孫にあたり日向御前と呼ばれていました。日向御前は城影寺の池の水を汲んで化粧をしていたと伝えられており、とても美しい姫様であったことから、この池の水で化粧をすれば美人になると言われております。また日向御前は男勝りの性格で活発な女性であったと伝えられています。側近達の制止を振り切って、当時女人禁制の霊域とされていた愛宕山に馬を走らせ登ってしまい、以来、愛宕山のご禁制は解かれ領内の女性も参拝できるようになったそうです。

 

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決断一瞬 35代 木村庄之助

けつだんいっしゅん さんじゅうごだい

きむらしょうのすけ

大相撲の行司の中で最高位にあたるのが立行司であり、いわば行司の横綱です。立行司は「木村庄之助」と「式守伊之助」の2名からなっています。その37代目の「式守伊之助」を襲名されたのが延岡出身の内田順一氏です。昭和37年(1962年)に行司として初土俵を踏み、平成19年(2007年)5月に「37代式守伊之助」を襲名されました。宮崎県出身初の立行司であると同時に、戦後生まれ初の立行司でもあります。更に現在は第三十五代木村庄之助を襲名し活躍されています。

 

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工都を一望 愛宕山

こうとを いちぼう あたごやま

標高251mの愛宕山は、市街地を見渡すことが出来る位置にあります。山頂の展望台からは、天候に恵まれ運がよければ四国を見ることもできます。愛宕山周辺の沖田、片田などに貝塚が多いことから、古代は海に突き出した半島であったと考えられています。ニニギノ尊と木花咲耶姫が出会い、結婚をした地であるとの伝説もあります。春には登山道から展望台まで桜並木が続き、訪れた人々の目を楽しませています。また展望台からの夜景は「夜景100選」に選ばれると同時に、宮崎県で唯一「日本夜景遺産」に選ばれています。

 

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皐月の空へ のぼり猿

さつきのそらへ のぼりざる

「のぼり猿」は延岡を代表する伝統工芸品の1つです。その歴史は古く、江戸時代中ごろ延岡藩の武士たちの手内職として作られ始めたと言われています。張り子の猿は、菖蒲絵の幟にさげられ、風を受けると竿をつたって登ります。のぼり猿は、子どもの立身出世、無病息災、平和と五穀豊穣を願ったもので、端午の節句に鯉のぼりといっしょに庭先に掲げられていました。

 

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城山の鐘 胸打つ響き

しろやまのかね むねうつひびき

城山の鐘が時を告げ始めたのが明治11年(1878年)です。以来、実に100年以上も市民に時を告げ続けています。この城山の鐘は「鐘守さん」によって、大切に守られてきました。初代の稲田藤三郎氏から5代目の正彦氏と、平成8年までは稲田家が勤めてきましたが、それ以降は公募により決められています。現在は7代目、矢島茂・征子夫妻が勤めています。鐘は朝6時に打ち始め、8時、10時、12時と午前中4回、午後は3時、5時と1日6回、時を知らせています。また時の記念日である6月10日には、「城山の鐘」と「鐘守さん」に感謝する「城山鐘まつり」が行なわれます。

 

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水郷延岡 五ヶ瀬の鮎やな

すいごうのべおか ごかせのあゆやな

秋の五ヶ瀬川では、やな場で鮎を焼く香りが川原を漂います。「鮎やな漁」とは、産卵のために川を下る鮎の習性を利用し、川をせき止めて、竹のスノコで作った「落簀(おてす)」に誘い込む伝統的な漁法で、約300年の歴史があります。丸太を3本組み合わせた「ウマ」を何組も使って川をせき止め、その長さは150m程にもなります。10月上旬から11月下旬まで「鮎やな漁」は行なわれ、延岡の秋の風物詩となっています。また環境省選定の「かおり風景100選」にも、宮崎県で唯一選ばれています。

 

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先人の知恵 畳提

せんじんのちえ たたみてい

延岡市街地の北町、船倉町、紺屋町の五ヶ瀬川沿いの堤防の上に高さ60cm程のアーチ状の高欄(橋の手すり)のようなものがあります。これが「畳堤」です。畳堤を上から見ると約7cmの隙間があります。洪水の時には、この隙間に家の畳をはめ込み、堤防を越えようとする水を防いでいました。枠の寸法は、この地域で1番使われている畳がちょうど入るサイズで、隙間の幅7cmは、水を含んだ畳が膨れた時の厚さに対応しています。畳は周辺の住民が自宅の畳を持ち寄りはめ込んでいたそうです。川と共に生きた先人の治水対策の知恵で、住民が互いに協力してまちを守ったシンボルと言えます。

 

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底なし伝説 金堂が池

そこなしでんせつ かなどうがいけ

周囲1.25kmのこの池は、年間を通してジョギングする人、散歩をする人が絶えない、市民の憩いの場です。ところが金堂が池は、多くの謎を秘めた池でもあるのです。まず、この池が何の為に作られたのかが不明なのです。西階城の内堀なのか、灌漑用のため池なのか、今も定説がありません。また、この池は干上がったことがないと言われ、その水が一体何処から湧き出しているのか不明なのです。そして、池の深さを今まで公式に測ったことがなく、底なしではないかとも言われています。

 

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太古の刻み さざれ石

たいこのきざみ さざれいし

美しいリアス式の海岸線が続く日豊海岸国定公園の中央部に、北浦町は位置しています。そして北浦町の大間海岸や下阿蘇海岸では、国歌「君が代」に詠われる「さざれ石」を見ることができます。「さざれ石」は、学名を「石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)」と言い、長い年月をかけて溶け出した石灰岩の石灰質が、周囲の小石を多く集めて大きく成長したものであり、小石がコンクリート状に固まってできています。さざれ石は干潮時に姿を見せます。陰暦の15日から19日の午後1時から4時の間に海岸線を探してみれば、多数見つけることができます。

 

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「ちよひめ」 「次郎」 山里の味

ちよひめ じろう やまざとのあじ

延岡市の西の山間部に位置する北方町は、自然の恵みの宝庫です。なかでも「ちよひめ桃」と「次郎柿」は北方の代表的な特産品です。「ちよひめ桃」は6月初旬から中旬にかけて出荷される早生桃です。小型ですが香りが良く、甘みも最高の桃です。「次郎柿」は10月下旬から11月にかけて出荷される秋の味覚の代表格です。シャッキリとした歯ごたえもよく、北方町の名産品として高い人気を誇っています。ちよひめ桃のシャーベットや次郎柿のブランデー漬け等の加工品も好評です。

 

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ツチビノキ咲く 鬼の目山

つちびのきさく おにのめやま

県北の代表的な山の1つである大崩山の南に鬼の目山があります。鬼の目山では水晶が採れ、その光り輝く様を鬼の目に例えてその名がついたと言われています。鬼の目山の一角に鉾岳という岩峰があり、水量豊富な谷部の湿った場所に「ツチビノキ」が生えています。この「ツチビノキ」は世界中でここ鬼の目山系にしか生えていない極めて貴重な植物なのです。ツチビノキはジンチョウゲ科の樹高1mほどの低木です。ツチビノキは6月から7月にかけて美しい花を咲かせます。ジンチョウゲと同様に枝先に10個ほどの花をまとまってつけます。つぼみのときはピンク色ですが、開花が進むにつれて次第に真っ白になっていくのが特徴です。

 

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手を取り未来へ 十三万

てをとり みらいへ じゅうさんまん

平成18年(2006年)2月20日、旧延岡市はまず北浦町・北方町と合併しました。そして平成19年(2007年)3月31日に北川町とも合併し、新しい延岡市が誕生したのです。合併後の新生延岡市は大分県佐伯市に次ぐ、九州で2番目に広い「市」になりました。工業都市でありながらも、海、山、川と豊かな自然を有し、歴史や文化にも恵まれるまちです。合併することで13万人となった市民全員で手を取り合って、「明るく豊かな延岡市」「希望にあふれる延岡市」にしていきましょう。

 

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とべとべ 空飛ぶ新玉ねぎ

とべとべ そらとぶ しんたまねぎ

「空飛ぶ新玉ネギ」は、県北特有の日照時間の長さを利用し、10月に種付けを行い1月末には市場に出荷される極早生玉ネギです。日本一早く収穫される延岡産の新玉ネギは、少しでも早く消費者の元に届けたい、そんな農家のみなさんの夢を乗せて飛び立って欲しいとの想いから「空飛ぶ新玉ネギ」と名づけられました。とても柔らかい実と、水にさらさなくても生で食べられるくらい刺激臭や辛味が少ないのが特徴です。普通の玉ネギにはない、みずみずしさと甘さを味わえます。「空飛ぶ新玉ネギ」は1月から3月までの限定商品です。新鮮さが売りですので取り置きはできません。この時期を逃すと、来年まで食べられませんのでご注意ください。

 

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長浜海岸 アカウミガメの里

ながはまかいがん あかうみがめのさと

長浜海岸は南北5kmに渡る砂浜です。浜には防風・防潮の為の松林が広がり、砂浜と松林が「白砂青松」な眺望を形成しています。そしてこの長浜海岸は、天然記念物に指定されているアカウミガメが産卵の為に上陸する海岸としても知られています。ウミガメは5月から8月の深夜、外敵に襲われる危険が比較的少ない時間に上陸してきます。そして砂浜に穴を掘り、その中に100個程の卵を産み、産み終わるとその穴を丁寧に埋めて海に戻って行きます。そして約2ヵ月後、卵から孵った赤ちゃんガメたちが砂から這い出してきて一生懸命海を目指し旅立ちます。近年この砂浜や松林が侵食され、年々その規模が縮小しています。この大切な自然を守ろうと、多くのボランティアの方が活動されています。

 

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二の丸に「天下一」舞う 薪能

にのまるに てんがいちまう たきぎのう

「天下一」とは安土桃山時代から江戸時代初期にかけ「天下一」の称号を授けられた能面作家のことで、延岡市には「天下一」の手による能面が、内藤記念館に30点所蔵されています。「延岡城址 天下一薪能」は、この「天下一の能面」を使用し能楽界最高峰の演者たちが舞う、日本を代表する薪能です。秋の気配が濃くなる10月に延岡城二の丸跡の舞台に篝火が灯り、「千人殺しの石垣」が漆黒の闇の中に浮かび上がります。深く重い太鼓の響きに、天を突くように響く笛の音。一夜の幽玄の世界に観客を誘います。

 

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ぬくもりあふれる 「おせったい」

 

延岡市の川北地区にある商店街は、「今山さん」の門前町として発展してきました。今山八幡宮の縁日や「おだいっさん」の際には、参拝客に料理や茶菓子等によるおもてなしが古くから行われ、現在でもその習慣は受け継がれています。そのおもてなしを延岡では「おせったい」と呼び、広く市民に親しまれています。「おせったい」とは、「おもいやり」や「お迎えする心」で、すべての人にやさしい社会を実現するためのキーワードです。来訪者には真心で接し、高齢者や障害を持たれた方にも配慮したまちづくりなどにも活かされています。

 

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ねじり鉢巻 ドン・カコ・カッ・コッカ

ねじりはちまき どんかこかっこっか

県北最大の夏祭りである「まつりのべおか」。その祭りにかかすことのできない「ばんば総踊り」。その音頭に一段と大きな華を添えるのが「ばんば太鼓」の響きです。この「まつりのべおか」のプレイベントとして、延岡駅前広場で「ばんば太鼓コンクール」が開催され、毎年小学生からお年寄りまで多くの腕自慢が参加し、次々と迫力のある「ばんば太鼓」を披露していきます。このコンクールで晴れて「名手」に選ばれると、「まつりのべおか」という大舞台で「ばんば太鼓」を披露することができる名誉を手にすることができます。

 

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野口遵 新興の母

のぐちしたがう しんこうのはは

現在の旭化成延岡工場の前進である日本窒素肥料延岡工場が操業を開始したのが、大正12年(1923年)10月でした。延岡市の豊富な水と電力に目をつけ、最新式の技術を導入して新工場を建設し、現在の工都延岡の礎を築いたのが野口遵です。この時、野口遵は世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功しました。野口は旭化成の創業者であると同時に、日本の化学工業の祖とも呼ばれています。また特許によるビジネスモデルを確立した最初の日本人です。

 

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橋かけ市長 又次郎

はしかけしちょう またじろう

昭和8年(1933年)、市制を施行し延岡町が「延岡市」となり、その初代市長に就任したのが、仲田又次郎です。仲田又次郎が市長就任以来、五ヶ瀬橋、安賀多橋、板田橋等、市街地に8つの橋を完成させたことから、「橋かけ又次郎」と異名をとりました。又次郎は、9代目の市長も勤め、延岡市の名誉市民となりました。また、「巷史」と号し俳句を詠み、文人市長としても有名で、城山に「崖若葉 白雲飛べり 日は高く」の句碑が建立されています。

 

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秘境 仙境 祝子渓谷

ひきょう せんきょう ほうりがわけいこく

祝子川渓谷は、大崩山から流れる清流が花崗岩で出来た岩を削ってできた渓谷です。この為、祝子川の流れは年間を通して透明で、清流と呼ぶにふさわしい美しさです。また周囲の樹木が織り成す自然、四季ごとに移り変わる景色も大きな魅力です。この渓谷沿いは、国の天然記念物に指定されている「孟宗錦明竹」の、全国に3ヶ所しかない自生地の中の1つでもあります。冬には滝の水が凍りつき自然のオブジェが楽しめる「落水の滝」もあり、美しい自然の宝庫です。また、21世紀に残したい日本の自然として、全国4万5千件もの応募の中から見事に「日本の自然100選」に選ばれています。

 

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藤の御紋の 内藤様よ

ふじのごもんの ないとうさまよ

延享4年(1747年)磐城国平(現福島県いわき市)より内藤正樹が7万石で延岡城に入封しました。以来、明治4年(1871年)の廃藩置県まで8代124年間に渡り延岡を治めました。歴代藩主は学問を奨励し、文武両面の振興に力を注ぎました。延岡藩最後の藩主8代政挙もその家風を受け継ぎ私学校亮天社を設立し、さらには女児教舎までも設立し、明治期の日本では例を見ないほど婦人教育に力を注ぎました。8代政挙は近代延岡の礎を築き、「延岡の父」とも呼ばれています。なお、内藤氏8代は全て養子縁組による相続という大変珍しい藩主でした。また内藤氏との縁で、福島県いわき市と兄弟都市になっています。

 

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平和を願う 6月29日

へいわのねがう 6がつ29にち

昭和16年(1941年)12月に日本がアメリカに宣戦布告し太平洋戦争が勃発しました。戦争は、昭和20年(1945年)8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾が投下され、8月15日に終戦を迎えました。それまでの間、アメリカ軍による空襲により日本各地が焼け野原にされました。延岡は火薬工場があり、県下では最も空襲が激しかった地域です。特に昭和20年6月29日には焼夷弾による大空襲を受け市街地の大半が焼失し、多くの犠牲者がでました。2度とこのような悲惨な戦争を起こさぬよう、この日を忘れてはなりません。

 

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本サバ 灘アジ ひむかの恵み

ほんさば なだあじ ひむかのめぐみ

海と山、豊かな自然があふれるまち北浦は、県内でも有数の漁場と漁港を持つまちとして知られています。近年全国的に漁獲量が減少しているなか、北浦漁協では県内でもいち早く地域漁獲物の付加価値の向上に取り組んできました。その結果、宮崎県認定水産物ブランドとして、無投薬の安全・安心な養殖マサバ「ひむか本サバ」と天然畜養マアジ「北浦灘アジ」が認定され、高鮮度・高品質であることから県内外から高い評価を得ています。また「宮崎カンパチ」も認定を受けており、認定ブランド5魚種のうち3魚種を北浦産が占めています。

守りも堅し 千人殺し

まもりもかたし せんにんごろし

城山の北大手門の階段を上がったところに高さ22mの壮大な石垣があります。延岡城の二の丸から本丸への侵入を防ぐため、また銃火器を使用した近代戦に対応するために、慶長3年(1603年)、時の藩主高橋元種が築きました。礎石を外すと、たちまち全ての石垣が崩れ、一度に千人の敵を殺すと言われたところから、「千人殺し」の名がつけられたと伝えられています。明治4年(1871年)の破城令によって、建物のほとんどが取り壊されましたが、千人殺しをはじめとする石垣等の遺構は大部分が健在であり、当時の面影を偲ばせます。

 

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民航の草分け 後藤勇吉

みんこうのくさわけ ごとうゆうきち

明治29年(1896年)延岡市南町に生まれた後藤勇吉は、大正10年(1921年)、わが国第1号の一等操縦士と一等飛行士の免許を取得した、民間航空の草分け的人物です。勇吉は国内初の日本一周飛行や高度5000m突破等、数々の快挙を成し遂げました。その他にも、わが国初の旅客飛行や海外郵便輸送を成功させ、生鮮農産品空輸を行い宮崎の「日向かぼちゃ」の定着に貢献する等、「空の先駆者」として名を馳せました。しかし太平洋横断飛行を目前にした昭和3年(1928年)、訓練中に佐賀県の山中に墜落。33歳の若さで亡くなりました。毎年10月には勇吉の功績を顕彰する為、ペットボトルロケットとラジコン飛行機の飛行大会である「後藤勇吉メモリアル飛行大会」が行われます。

 

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無常の送り火 流れ勧請

むじょうのおくりび ながれかんじょう

「流れ灌頂」は、初盆を迎える家や先祖の霊を慰める人たちが、手作りの和紙灯篭に灯りを燈し夕暮れの五ヶ瀬川に流す祭事で、毎年8月18日に行われます。江戸時代から伝わる伝統行事で、河川の多い延岡で水害や水難事故の犠牲者の霊を供養するために始まったものと言われています。夕暮れの川面に数多くの灯篭が浮かび、ほのかな灯りを燈しながら悠然と川を下っていく様は、見るものに悠久の刻を感じさせます。水郷延岡に秋の訪れを告げる風物詩ともなっています。

 

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目指せ世界を!! アスリートタウン

めざせせかいを あすりーとたうん

延岡はマラソンの宗兄弟、谷口選手、柔道の中村三兄弟、水泳の松田丈志選手等、多くの世界的アスリートを輩出しているまちです。平成8年(1996年)に制定された「第4次延岡市長期総合計画」の中で、スポーツによる地域イメージの向上、交流人口の増大等を目的とする「アスリートタウンづくり」が新たな施策として位置づけられました。日本陸連公認レースである「延岡西日本マラソン」や「ゴールデンゲームズinのべおか」等の各種大会開催やサッカーや野球の大会・キャンプの誘致に積極的に取り組んでいます。またJR延岡駅前広場には、延岡市ゆかりのオリンピック・パラリンピック出場選手の実物大の手形・足型が設置されており、一流選手を身近に感じることができます。

 

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燃ゆる紅葉 大崩山

もゆるこうよう おおくえやま

北川町と北方町の境にそびえる、祖母傾国定公園を代表する名峰です。標高1,643mの大崩山には人の手が入っていない、ブナ、ツガ、五葉松等の豊かな原生林が広がっています。その原生林の中には湧塚・乳房岩・七日廻り岩等の花崗岩の岩峰郡がおびえたち、登山客を圧倒しています。春にはアケボノツツジが咲き、秋にはまばゆいばかりの紅葉を楽しめる自然の宝庫です。この大崩山を中心とした大崩山系の山々は、火山活動によって地下に形成された岩脈が隆起侵食を受けることで現れた山々です。花崗岩の表面が風化して、ポロポロ崩れ落ちる所からこの名前がつけられたと言われています。

 

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柔 極めし 磯貝一

やわら きわめし いそがいはじめ

磯貝一は、明治4年(1871年)現在の船倉町に生まれました。12歳のころから父親に関口流柔術を学び、明治24年(1891年)21歳の時に、嘉納治五郎が心技一体の指標を掲げ創設した柔道場「講道館」に入門しました。入門後、嘉納治五郎に認められ明治26年(1893年)には京都の講道館分場長として派遣されました。以来、50余年の長きに渡って柔道一筋に歩き、西日本での講道館柔道の普及に努め、「関西の雄」として名を馳せました。昭和12年(1937年)柔道の最高位「十段」を取得。この十段は、長い講道館の歴史でも15人しか持っていない、名誉ある段位です。

 

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悠々と 市民見守る おだいっさん

ゆうゆうと しみんみまもる おだいっさん

延岡の中心地に位置する今山の山頂に、高さ17mの日本一大きい弘法大師像があります。この弘法大師像は、第2世 野中豪雄住職が戦没者の慰霊と戦後の復興を祈り建立を発願し、昭和32年(1957年)4月に多くの信徒の浄財で完成したものです。以来50年間、弘法大師像は私たちの無事安穏を願われて、優しく見守られています。また弘法大師の命日にあたる旧暦3月21日に最も近い4月の第3日曜日を中心にして3日間、大法要として「大師祭」が開催されます。県内はもとより九州各地、四国からも参拝客が訪れ、「おだいっさん」と親しまれています。

 

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世にも稀なる 干支のまち

よにもまれなる えとのまち

北方町は、住所に干支の名前がついた日本唯一のまちです。明治22年(1889年)の町村制施行時にはこの干支を用いた地域区分が活用されており、北方町ではこの年を干支区分の使用開始の年としています。そして使用開始より100年以上たった現在の行政業務においても、この干支を用いた制度で円滑に事務処理が行われています。いかにこの制度が後世のことまで考慮した合理的なものであったのかが伺われ、改めて先人の知恵の偉大さに驚かされます。

 

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落差千尋 行縢の滝

らくさせんじん むかばきのたき

登山口から自然林の生い茂る沢沿いの山道を登っていくと、そそり立つ一枚岩のような行縢山を真っ二つに割るかのように幅20m、落差77mという壮大な「行縢の滝」が姿を現します。「行縢の滝」は「日本の滝100選」に選ばれており、絶壁を静かにつたう布引の滝は実に壮観です。熊襲征伐の折にこの「行縢の滝」を見た日本武尊が、「布引の矢筈の滝を射てみれば 川上たける落ちて流れる」という歌を詠んだとの伝説も残っております。また「行縢」の名前は、山全体に奇岩絶壁がそそり立ち、頂上は東岳(雄岳)、西岳(雌岳)と呼ばれる2つの岩峰からなっている様が、昔の武士が狩の際に腰から脚部にかけて着用していた行縢と呼ばれるものに似ているところに由来しています。

 

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緑風 清風 那智の滝

りょくふう せいふう なちのたき

延岡市の北部、川島町の川島神社より800mの参道を登った那智山「如意輪寺」の本堂右手にかかる幅6m、落差20mの滝です。1年を通して清流が流れ落ち、境内や参道の梅、桜、紅葉等が折々の風景を醸し出しています。冬には滝が氷結することもあり、美しい自然のオブジェを見ることもでき、宮崎県の名勝にも指定されています。この如意輪寺は、奈良時代の僧・行基が夢枕に現れた観世音菩薩の「日向の聖地の梅の古木に姿を現す・・・」というお告げにより諸所を訪ね、この渓谷に夢で見た梅の古木を見つけ開山したと伝えられています。」

 

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ルビーの幻 北川アカメ
アカメは、スズキ目アカメ科の魚で、スズキに似ていますが体高が高く、その名の通り目が宝石のルビーのように赤いことが特徴です。延岡では「マルカ」と呼ばれたりもします。日本では、宮崎県、高知県、和歌山県にのみ生息する珍しい魚です。成魚は最大で体長2m、重量40kgにも成長する大型魚です。延岡市須美江町の須美江ファミリー水族館には、延岡市内で捕獲された体長1m10cm、体高50cm、重量25kgのはく製が所蔵されています。延岡市内の河川では、特に北川が生息域として有名です。

霊験あらたか 蛇谷の行

れいけんあらたか じゃだにのぎょう

蛇谷は、滝から火の玉が立ち上るとか、毎年梅雨になると滝に雷が落ちると言われています。蛇谷信仰の起こりは、永正11年(1514年)6月の大日照りの際、祝子村の人々が雨乞いのお願いをしたところ、その日の夜半から大雨が降ったとの言い伝えによります。以来、日照りが起こるたびにお願いすると、必ず大雨が降ってきたと言われています。霊験あらたかな行場として時の藩主内藤政順が武運長久と国家安全の守護祈願をしたところでもあります。
女滝と男滝があり、女滝の竜神の口から水が流れ落ちています。

 

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ロマンと謎の 古墳群

ろまんとなぞの こふんぐん

延岡市内には、国指定史跡である南方古墳群24号墳、南方古墳群37号墳や県指定史跡延岡古墳群を含む、約120基の様々な形態の古墳が確認されています。24号古墳は、延岡で唯一の横穴式石室が現存している円墳です。37号墳は、もともと円墳であったと言われていますが、現在では表土が失われ墳丘は形をとどめておらず、市内最大級の家形石棺が露出しています。その他、全長71mの前方後円墳で今でもはっきりと形がわかるくらい保存状態の良い1号古墳等、古代のロマンに思いをはせることができる史跡が数多く存在しています。

 

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和田越え決戦 西南の役

わだごえけっせん せいなんのえき

明治10年(1877年)2月に現在の熊本、大分、宮崎、鹿児島において西郷隆盛を盟主として、明治政府に対する士族の反乱である「西南の役」が勃発しました。そしてこの延岡も戦場となったのです。明治10年8月15日、「和田越」において西南の役最後の決戦が行われました。この「和田越の戦い」では初めて西郷隆盛自身が陣頭に立ち兵を指揮しましたが、圧倒的な兵力を誇る政府軍に対抗できずに大敗を喫しました。この敗戦を受けて西郷は、軍の解散を決めました。そして政府軍の包囲網をくぐり抜け鹿児島に帰陣する為に、可愛岳の険しい山道を突破したのです。戦場跡には「和田越決戦史碑」と野口雨情が敗れた薩軍を偲んで詠った「逢ひはせなんだか あの和田越で 薩摩なまりの落人に」の詩碑が立っています。

 

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